雑記

電気が復旧。今に繋がる日々【東日本大震災から8年】

2019年3月13日

どうも!Rakko(@RAKKO_twr)です。

今回は↓この記事の続きです

 

父親の車でラジオ

 

ガソリンスタンドがどうなっているのかなど、町の様子を把握するために、父親と車ででかけました。ちなみに地元は県の真ん中あたりにある内陸です。

車中のラジオから聞こえてくる情報に鳥肌が立ちました。「浜辺に数百人の遺体」

「え...」と思わず口が開きました。あまりしゃべらない父親も「マズイな...」とつぶやきました。

 

明かりが点いている店は一つも無く、ガソリンスタンドも真っ暗でした。

世界の全てが静まり返った気がした夜。色々な不安はありました。国単位で大丈夫なのか。とさえ思っていました。

 

不安な気持ちも強かったのですが、普段は母親と父親で暮らしている家に、祖母の体調が良くない時期だったため、祖父も祖母も家に居たので、普段よりも人が多く、不思議と安心できました。

 

電気店には行列

 

いつまで停電なのか検討が付かなかったので、自転車で2kmくらい離れた電気店に電池を買いに行きました。

すると、遠くからでも分かるくらいの行列ができています。この田舎にこんなに若者がいるのか。と思いました。

 

後に「買いだめは控えた方がいい」と全国的に言われるようになりましたが、いざ先が見えない状況になった時、やっぱり自分の家族を守るために必死になるのは当然だと思います。

なので、買いだめをすることは、個人的には仕方のないことだと思います。どうなるか分からないのに、ボーとしている方がマズいと思いますし。

 

電気が復旧。信じがたい光景が映るテレビ

 

二日目か三日目の夜に電気が復旧しました。すぐにテレビを点けましたが、そこに映る光景は、嘘であってほしいものばかりでした。

ラジオで聞いた津波が、こんなにも恐ろしいものだということを思い知らされました。

 

戦争を経験した祖父母も、とても驚いていました。

 

その日から毎日、沿岸についての情報をテレビに食い入るようにして見ました。きっと自分は見ておかないといけない立場の一人なんだ。となんとなく思っていました。

 

就活どころではないのか

 

結局、3月の下旬まで、一人暮らしのアパートに帰ることはありませんでした。余震もあり、一人でいるのもなんか嫌だなという気持ちがありました。

就活をしないとマズいかもしれないけど、世の中的にも、自分の気持ち的にも、就活どころではない気がしている日々を送りました。

そもそも、多くの会社が採用試験を中断していました。自分も何もできないし、この状態がいつまで続くのかも分からない時期でした。

 

しかし4月に入り、世の中も少しづつ動き始めた気がします。個人的にも、心を就活に切り替えようという気持ちになれました。

そしてなんやかんやして、第一志望の会社に拾ってもらえることになりました。

 


 

自分にとっても東日本大震災は大きすぎるものです。内陸に住んでいたため、沿岸の人の気持ちは、正直言うと、分かりようが無いと思っています。

大切な人を失った人の気持ちを想像しても、きっとそれはただの想像で、全く別のものだと思っています。どうやっても、その気持ちを知ることはできません。

 

ですが「震災」について考え続けることが、大事だと思っています。それが、誰のためにもならないことだとしても、考え続けるべきだと思っています。

 

答えが無いことも世の中にはあるのだと痛感させられます。

 

 

 

最後に、このブログに書こうかどうか、かなり迷いましたが、書くことにしたことをこれから書きます。

 

 

震災から数週間後、わたしは、あるワードを検索エンジンに入力してしまいました。画像一覧を見ていると、ある1枚の写真が目に入りました。

 

通園バスの前で泣き崩れる女性と、その背中をさするおじいさん。

 

女性の子どもが乗っていたバスだったのかもしれません。おじいさんは捜索を手伝っていたのかもしれません。

 

 

こんなにも辛いことがあっていいのかと動揺しました。

 

忘れられません。

今を、一生懸命楽しく生きなきゃ。と思います。

2019.3.13

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